松本潤 画/彩賀ゆう (C)まいじつ
現在放送中の『嵐』松本潤が主演を務めている大河ドラマ『どうする家康』(NHK)により、改めて注目が集まっている歴史上の英雄・徳川家康。だが、その一生を振り返ると、ドラマにはふさわしくないことが浮かび上がってくる。
「家康は青年期に徳川に改姓しており、元々は松平家の生まれ。その松平家は近隣の大国だった今川家の庇護でしか生きられなかったコバンザメ。この辺は、すでに大河ドラマでも描かれていますね。
改姓時、家康は自らのルーツを清和源氏の新田氏の支流と僭称しましたが、これは自身を由緒あるように見せるための大嘘。つまりは、幼少期から家柄にコンプレックスがあり、なんとかそこを糊塗したかった小物なのです」(週刊誌記者A)
征夷大将軍に登り詰めた経緯にしても、その〝夜郎自大〟な本性が見え隠れする。
そもそもドラマの題材になり得なかった?
「日本の歴史は天皇の歴史。神にして政治の中心でもあったのですが、あろうことか家康は京都の朝廷と政治権力を切り離すために幕府を開きました。
世が世なら不敬で死刑に値しますが、出自にコンプレックスのある家康は天皇を遠ざけ、自らをトップに置く権力構造を構築したのです。
しかも、カリスマ性での統治や戦を勝ち抜く采配・知力があったわけではなく、『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』が示すように、ただひたすら他人が失敗するのを待ち続けただけです」(週刊誌記者B)
現在、「どうする家康」は視聴率が苦戦しており、その要因として、脚本の粗雑さや出演者の人気などが挙げられている。
だが、これらの理由はいずれも些末であり、そもそも大元の問題は〝家康が大河ドラマの題材にされるほどの人物ではない〟という歴史的事実に由来するのだ。
「家康はとにかくヘタレで、歴史的に残っているのはヘタレエピソードがとにかく多い。ネット上では《そもそも家康自体がつまんない》《脱糞逃亡とか食い逃げくらいしか楽しませるエピソード逸話が無い》なんて声も。そんな家康を大河で忠実に再現していると聞けば聞こえはいいのですが、そんな姿を1年も見せられる視聴者は苦痛」(週刊誌記者C)
家康といえば、天ぷらの食べ過ぎで死んだとも言われている。もし大河でこんな最期をやったら、ある意味歴史に残る作品となるだろう。
Source: まいじつ2
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