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藤井聡太“八冠”に不安要素はある? 将棋界レジェンドが経験した屈辱の過去

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芸能情報
藤井聡太 画/彩賀ゆう  (C)まいじつ 
八冠達成が近づく藤井聡太七冠は、ここまで大きな挫折なく将棋界の頂点まで駆け上がってきた。だが、将棋界のレジェンドたちは過去、全タイトルを獲得する前に大きな屈辱を味わっている。
藤井七冠もつまずくことはあるのか。羽生善治九段ら全冠達成経験者の苦い歴史を振り返ってみよう。
将棋界において、すべてのタイトルを手中に収めたのは升田幸三(故人、1957年、三冠)、大山康晴(故人、59年、三冠、その後五冠)、羽生善治(96年、七冠)の3人。だが達成前には苦難を味わってきた。
大山は三冠達成前の56年1月、升田に王将戦で3連敗を喫し失冠。さらに3勝差をつけられると、タイトル獲得側が駒落ちの上手(香落ち)で指す当時の王将戦のルールが適用され、ここでも敗戦。
将棋界最高峰のタイトル・名人保持者が駒落ちで敗れる屈辱を味わった。
羽生善治九段も若くして失冠した過去が…
羽生九段は95年に七冠のチャンスが訪れたが、最後に挑戦した王将戦でフルセットの末敗戦。翌年までにすべてのタイトルを防衛しつつ、王将位の挑戦権を再び獲得しなければならなかった。
藤井七冠はタイトル戦の挑戦成功率、防衛成功率ともに100%。失冠を経験していないが、羽生九段の失冠は早かった。89年、19歳で竜王位を獲得したものの翌年にはタイトルを奪われている。
「羽生九段が七冠に挑戦した95年は阪神・淡路大震災が起こった年ですが、タイトル保持者で神戸在住の谷川浩司王将(当時)は、震災に見舞われながらも同年1~3月の七番勝負を戦い抜いて日本中から称賛を浴びました。
当時は羽生ブーム真っただ中。しかし、被災した谷川王将に日本中から称賛が寄せられ、羽生六冠(当時)がさながらヒール役になったのです。
また、竜王位を90年11月に20歳で失冠していますが、ここでも嫌な出来事がありました。防衛戦前の同年3月、タイトルを獲得した米長邦雄王将(当時、故人)が宴会で弟子らを誘って裸踊りを披露しました。
このもようは写真週刊誌に取り上げられたようですが、当時の羽生竜王は大先輩の誘いを断り、裸にならず。
後に米長王将から『(裸踊りに参加しなかったから)羽生は竜王を失った』とよく分からない言いがかりをつけられたとか…」(将棋記者)
彼らは〝悲願の全冠達成〟の裏で、例外なく苦難を乗り越えてきた。藤井七冠ももし

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