コロッケ (C)まいじつ
クロムハーツの世界的コレクターとして知られる大御所ものまねタレント・コロッケが、芸能界に衝撃を与えた〝あの件〟について赤裸々に語った。
8月27日放送の『八方・陣内・方正の黄金列伝』(読売テレビ)にVTR出演したコロッケは、1985年の放送初回から出演していた『爆笑!スターものまね王座決定戦』(フジテレビ系)の裏側を暴露。
コロッケは番組について、「漫才ブームが終わった後で、他に笑いはないかと(世間が)モノマネに飛びついて視聴率が跳ね上がった」と、80年代半ばの世相から人気の理由を分析した。
また、この番組のバブルにより「ものまね芸人はみんなギャラが高くなった」とも暴露。「20万だったのが100万、200万…」「10倍以上に膨れ上がった」など、その凄まじさを語っていく。
だが人気絶頂のさなか、コロッケは1992年に同番組を降板。これは業界中に衝撃を与えた事件だったらしく、ものまね芸人の原口あきまさも「『番組、ものまね界はどうなるの?』って感じだった」と当時を振り返る。
そしてこの降板劇に関し、コロッケは「率直に言えばケンカして辞めた」と激白する。
漏れ伝わっていたプロデューサーの“鬼”
番組のネタ時間は1分から1分半ほどなのだが、コロッケは「その中ではやれない事がある」と尺が足りないことを指摘し、「俺はもっとやりたかったんですよ。当時の番組プロデューサーと揉めて、上手くいかなかった」と交渉したことを回顧。「こっちの考えと向こうの考えがね」「言っても聞き入れてもらえないし、納得できなくて。他にもあるけど、基本的にはそれが一番の原因」と、〝ケンカ別れ〟の詳細を明かした。
血で血を洗うドロドロの裏側に、ネット上は
《確か同番組に出ていた聖子ちゃんのモノマネやる人が、このプロデューサーがすごく厳しくて怖い、と言っていた記憶がある》
《コロッケさんの技術がなければブームになることはなかったと思うが、プロデューサーは自分の手柄だと思ってしまったのかな》
《今だったらYouTubeでガンガンいけたでしょうね。そういう意味でもテレビは限られた人が、関係者に認められてようやく活躍出来る機会が増える場所》
《松村邦洋がこのプロデューサーのモノマネをして、清水アキラや他の出演者に受けていて、本人が出てきて台本(?)を投げつけたりしていて面白かったが、あれは1
コメント