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「空腹ながらも楽しかった」 2枚の古い写真、戦中の疎開生活伝え

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中島満さん(後ろから2列目右から3人目の黒丸印)ら荒川西国民学校の集合写真。当時の校長(後列左から5人目)の姿も=中島満さん提供
 太平洋戦争の戦禍から逃れようと、埼玉県の秩父地域は都会から疎開した子どもが少なくなかった。旧荒川村(現埼玉県秩父市)で家族と暮らした中島満さん(82)=横浜市保土ケ谷区=もその一人。手元にある2枚の古い写真は、空腹ながらも地域の友だちと楽しく過ごしたという日々の証人
Source: グノシーエンタメ

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