画/彩賀ゆう (C)まいじつ
これこそ「消えないこの絆」だろう。
亀梨和也と赤西仁…。平成を生きた人間にとって青春そのものと言っていい2人が、深い〝絆〟で結ばれていることが分かった。
12月21日深夜に『KAT-TUN』の冠グルメバラエティ『KAT-TUNの食宝ゲッットゥーン』(TBS系)が放送された。
この日のゲストは狩野英孝。『KAT-TUN』とブレーク時期がほぼ同じとあって、先週に続き、様々なエピソードトークを繰り広げた。
その中で亀梨は「よくデビュー当時、『生意気だ』って言われてたんだけど、結成してから5年くらいジュニアとして過ごしてるわけですよ。曲決めたり衣装とか、自分たちである程度コンサート作ってたのよ」と話しはじめる。
続けて「やっと5年経ってデビューだったけど、周りは1年生みたいな目で見るじゃん? でも5年間やってて意思があるから、そこで(大人と)ぶつかるわけよ」と、認識のズレから生意気に思われることが多かったと回顧した。
さらに「新たに入ってきたスタッフさんが『この衣装着てください』、『いや俺らこういうの着たい』って、(衣装さんは)『はっ?』ってなっちゃう」「それが『尖ってる』とか『生意気だ』って言われたけど…」「我々も考えのもとでやってる、ブランディングなのよ」などと振り返り、「我々もまだ受け止め方が子供だった」と反省も口にした。
そして、こうした〝大人たち〟とのすれ違いが、グループを独立に動かしたことがあったという。
『KAT-TUN』全員で独立するプランが!
亀梨はさらに、「みんな集まって、当時よく話したよね」「『どうする? 俺たちだけで会社辞めて別でやろっか?』みたいな話も出てたのよ、当時」「『俺たちだけでやっていける自信あるし、もう抜けよっか』みたいな話も、ちょっと出てたよね」と、事務所を辞めて当時の6人で活動するプランがあったと明かす。
狩野の「そういう時は誰が一番仕切るの?」との質問には、「俺と赤西くんが、2人で結構話すことが多かったから。それをみんなに『どうなの?』みたいにぶつけて」「赤西くんと俺は、いっつも夜な夜な健康ランドの露天風呂で、どう進めていくかみたいなのを毎日話してた」「で、みんなに言って、みんなに揉んでもらって」と、連日話を詰めていたという青春エピソードも語った。
しかし、後に赤西は1人で脱退し、後に退所したため
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